聞いた声に応えたい
「福島のこどもたちを三重へ」プロジェクト実行委員長 大橋宏雄
昨年の8月17日から25日までの9日間、福島県のこどもたちと保護者27名と一緒に三重県での夏休みを過ごしました。きっかけは同年4月11日に、被災地の支援活動を行っている「三重有志の会」で勤めた法要で、仙台仏青の関口真爾さんのお話を聞いたことです。関口さんが福島のこどもたちの状況を語られている中で、「三重でも福島のこどもたちを受け入れてもらえませんか?」と投げかけられ、その声に応えたいと思ったことが始まりです。
もう一つは私自身、「人に会いたい」と思ったということがあります。メディアから与えられる情報と、ほんの少しの被災地でのボランティアの経験で、私は吹けば飛ぶような問題意識を持っただけではないだろうかと思いました。新聞もテレビも見ない日は、震災や原発のことを忘れて生活している自分がいます。しかしまた同時にそれを良しとできない自分がいます。だから「人に会いたい」と思いました。
「被災者」という名前の人はいません。私が関口さんの声に応えたいと思ったのは、私にとって関口さんは、震災という背景をもった具体的な一人だからだろうと思います。同じように「福島のこどもたち」という人はいない。泣いているのは誰なのか。顔も名前もある一人に会いたいと思いました。
出会いの背景として、突きつけられた現実
さっそくプロジェクト実行委員会を立ち上げ、準備を始めると、実行委員会のメンバーが精力的に動いてくれた甲斐あって、沢山の人が関わってくれました。真宗高田派や本願寺派の若手僧侶達も駆けつけてくれました。滞在地の商工会や青年団の方々も協力してくれました。ご門徒の方々も様々な支援をしてくださいました。「何かしたい」という思いが沢山集まって当日を迎えました。
日程中の8月20日、新聞の一面に、汚染廃棄物の中間貯蔵施設の候補地の記事が載っていました。その候補地の一つである楢葉(ならは)町の方も参加者の中におられました。今は山形県の米沢市に避難しておられます。そのお母さんとこども二人が新聞を囲み、「これができたら、もう永遠に家には帰れないね」と話しているのが聞こえてきました。その後、上の男の子が私の隣に来て、「楢葉の家・・・」と呟きました。私は彼の頭に手を置きましたが、何も言えませんでした。
こどもたちとの九日間は笑顔でいっぱいでした。しかしその出会いの背景は震災と原発事故です。あるお母さんの涙が、あるこどもの呟きが、具体的な現実となってそのことを私たちに突きつけています。様々な情報があり、それを受け取る人の様々な状況があり、様々な考え方があります。しかしどんな意見や考え方も、福島で生きる人たち、今は福島を離れて暮らしている人たちの不安や苦しみ、悲しみから目を逸らす理由にはならないのだと思います。
私たちはこどもたちが大人になるまで、笑顔でいっぱいの夏を積み重ねていきたいと思います。そのことが福島の「今」を生きるこどもたちの、ほんの少しでも力になることを願っています。
私たちは「震災の年に生まれたこどもが成人するまで」を一つの区切りとして活動していきたいと思っています。ご賛同、ご支援の程どうぞよろしくお願いいたします。
合掌
真宗大谷派婦人会発行「花すみれ」
2013年2月号『絆 〜人と人を繋ぐ人びと』より抄出